ウチダハウス社員インタビュー
浪人中に出会った先生の影響もあって、大学に入ってすぐ、ボランティア活動にいそしみました。被災した石巻の救援、岡山県での森林ボランティアや、海外ボランティア活動にも参加しました。誰かの役に立ちたいという気持ちと一緒に、人との出会いの面白さや魅力が、あの頃の自分を突き動かしていたと思います。もっとたくさんの人と出会いたい、もっと見聞を広げたい、そんな気持ちは大きくなりました。
行っていないところ、見ていないものを求めて、いちばん惹かれたのがアフリカでした。実際に足を運ぶまでのアフリカのイメージは、夕陽が沈むサバンナをゆったりと横切るキリンやゾウ、のようなものでしたが、この目で見たアフリカは、随分と違うものでした。まず到着したのは、ケニアの首都ナイロビです。そこはまさに大都市、スーツ姿の黒人ビジネスマンが高層ビル街を闊歩する、そのさまに唖然としました。しかし、それ以上に衝撃だったのが、首都ナイロビからほど近い距離にあるスラム街、kibra=キベラ(ヌビア語でジャングルという意味)でした。
キベラスラムは2024年現在、外務省の海外安全ホームページでレベル2=不要不急の渡航中止の勧告が出ている地域です。働いていない人、働けない人がたくさんいて、ゴミも多く、匂いもひどいです。上下水道などインフラは整っておらず、私が行った現地のトイレは「囲いの中に穴」程度のものです。目にする光景だけでも、貧困や行き届かない教育などは容易に想像ができました。現地でボランティアの志願もしたものの、肉体労働が精いっぱいで、現況を変えうるような手伝いなどは、いち学生にはできる由もありません。帰国してから、アフリカには中国企業の進出が著しいことを知り、自分にできることを探して、中国留学も経験することになりました。
キベラスラムでは、学校の見学もさせてもらいました。学校教育を受けられる子供たちは全体の4割程度だそうです。教室の子どもたちは明るくて、僕たちに歌を聞かせてくれました。僕たちは、そのお返しにと、あの頃流行っていた『ヘビーローテーション』を唄って踊ったものです。
子どもたちの笑顔は今でも覚えています。
「誰と仕事をする」のか?
卒業後、大手日系メーカー企業に身を置くことになりました。事業の規模や取引の額が大きく、貴重な経験をさせていただきました。基本はオフィスでディスプレイとにらめっこするようなことが多く、学生の頃のように新しい人と出会う事や、接する機会は減ってゆきます。
「どんな仕事をする」よりも「誰と仕事をする」のか? 以前からずっと心にあった気持ちが頭から離れなくなり、転職を考えるようになりました。実は、内田社長とは、学生時代のアルバイトを通じて知己を得る機会があり、以前からその人となりをよく知っていました。プライベートで飲みにいく機会も何度かあった中で、転職を考えているという話題が出たとき、お誘いいただいたのです。以前からその人柄に惹かれていました。「誰と仕事をする?」その言葉に押されるように転職を決意しました。あまりに分野も規模も違う転身に、周囲の人たちは戸惑ったようです。ですが、迷いはありませんでした。
現在、ウチダハウスで携わっている管理部の仕事は、マニュアル通りの一辺倒な仕事ではなく、トラブルなどにもぶつかって解決してゆく。いい意味で泥くさい仕事です。お客さまをはじめ、たくさんの人との出会いが新鮮です。
そんな中、通常業務に加えて、新しく立ち上がる練馬つくし塾の講師をやらないかと社長から相談されました。学生時代に塾講師や家庭教師をしておりましたので、快く引き受けることになりました。スタートは今年の五月。初授業は緊張しましたが、今は慣れてきており、少数の中学生の生徒を相手に、個別指導で学校の勉強の補佐などをしています。先日は、誕生日を迎える生徒がたまたま重なっていたので、授業の後、サプライズでケーキを用意しました。生徒たちはとても喜んでいました。いつもこんなことはできるわけではありませんが、勉強の場で楽しいことも経験していけば、勉強することへ親しみや楽しみにつながってゆけるのではないかと期待しています。
管理部 管理第3課 中村宏伎
ピタットハウス練馬駅前店の勤務を経て管理部に
現在は通常業務に加えて練馬つくし塾の講師を担当